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渥美がいく!ダイバーシティの現場から 福岡県北九州市 若松区本町2-15-6 医療法人寿芳会 芳野病院

命を預かる職場のリスク・マネジメント

24時間体制で人員配置しなければならない医療施設は、ワークライフバランスの実現が最も難しい職場の一つかもしれない。
だが、福岡県の芳野病院は30分単位の短時間勤務、57パターンの勤務形態を導入し経営方針には「職員一人一人が幸せでやりがいのある病院」を掲げる。
本誌編集委員の渥美由喜氏が訪ねた。

註)この記事は初出「chacun vol.4」(2012年11月発刊)の内容を一部短縮・編集したWeb版です。記事中の数字は一部を除き2012年取材時点のものです。

退勤時刻が迫る夕方のナースステーションは、夜勤への引き継ぎもあり最も忙しい時間帯。原田梨恵さん(右)は短時間勤務制度を利用しながら、第1 子出産の復帰後に副主任、第2 子の育休後は主任に昇格している。

芳野病院は大正2年開業。3代目の芳野元院長は、約30年前のアメリカ留学時にダイバーシティ社会を実体験。昨今の日本におけるWLB施策の動向を予見していた。


「まさか自分が、保育園のお迎えのために短時間勤務を利用するとは」。事務部長の廣底幹雄さん(左)は、妻の入院という事態で初めて制度を利用。「職場に事情を話して必死でした。今では利用希望者に共感を持って勧められます」
 原田梨恵さんは、芳野病院に勤務して10年目の病棟看護師。第1子を出産していざ復帰という時、いちばん困ったのは勤務形態だった。
 出勤は8時30分。食事の介助、投薬、カンファレンス(夜勤からの申し送り)、バイタルサインの測定、入院対応、診療補助と息つく間もなく業務が続き、17時30分に退勤だ。
「特に困ったのは土曜日。保育園は17時閉園。夫は会社員で、同居している両親は共働き。誰も迎えに行けない」
 夜勤もある。月に4回巡ってくる夜勤は17時から翌朝9時まで。この問題は夫や両親と1カ月分のお迎え担当のシフトを組むことで解決したが、土曜日はどうしても閉園に間に合わない。総務に相談すると、「短時間勤務制度を利用して17時に退勤しては?」。芳野病院では、この制度の導入に踏み切って半年が経過していた。平成18年のことだった。
ワーキンググループで
語り合った
“夢みたいな話” が現実に
 当初、17時に退社する原田さんに、「どうして早く帰れるの?」と眉をひそめる声もあった。職場には20代独身の女性看護師が多く、短時間勤務を利用した職員はいなかった。
「これから結婚・出産する看護師のためにも風土づくりが大切だ」と感じた原田さん、毎月の病棟ミーティングで短時間勤務制度を宣伝し、「ごめんね、ありがとう」の声かけにも気を配った。すると、第2子出産時には「安心して休んで」と温かい声をかけられるように。年々、制度利用者は増え、その安堵感から「早く働きたい!」と復帰が早まった。
「短時間勤務には時間帯限定のイメージがあった。でも、この病院は6~7時間の短時間で複数のパターンから選べる。かなり助かっています」と語るのは、理学療法士・吉田清香さんだ。現在、保育園のお迎えに1時間早い退勤を利用中。結婚前、他県で働く婚約者に「結婚しても仕事は続けたい。芳野病院なら、出産しても働きやすい環境が整っているから、仕事と育児の両立ができると思う」と、遠まわしに転居・転職を促した実績の持ち主でもある。
 10年ほど前、芳野病院には「職場環境改善提案会議」というワーキンググループが職員の間に自然発生していた。吉田さんもメンバーの一人で、「みんな、子どももいないのに、“事業所内保育園があるといいね”“短時間勤務できないかな”“連休とりたい”なんて、女子会のノリで夢みたいな話をしていた」。その“夢みたいな話”を芳野元院長に報告したのが、総務課主任の小川美里さん(現在はWLB・ダイバーシティ推進室長、総務課長兼任)だ。
 芳野院長の決断は速かった。対象者にアンケートを実施、「短時間勤務は利用したいが、6時間しか働けないのでは収入が減って困る」という声の多さに驚き、「出退勤の時刻を30分単位でずらし、勤務時間を1時間まで短縮できる」という短時間勤務制度を立ち上げたのだ。
渥美's eye
 病院は本来、地域密着型対人サービス業であるにもかかわらず、「人命を預かる」という生命リスクを負っているがために「患者様絶対主義」が標榜され、職員の生活は二の次になりがちだ。だが、その犠牲的精神は本当に患者のためになるだろうか。職員の疲弊は医療過誤に結びつきかねない。これは問題だと思う。
 生命リスクを伴わない業種においても、「余剰人員がない中小企業に短時間勤務は無理。常勤の従業員に負担がかかる」「シフトの選択肢を増やすと総務が大変になる」など、後ろ向きな企業は多い。芳野病院の取り組みを見ると、そのことごとくが“言い訳” にすぎないことがよくわかる。


1人の患者を複数で担当する看護業務と異なり、リハビリスタッフは基本的に1対1対応。「子どもの急病で休むこともあり、職場にはずいぶん配慮してもらっている」と、理学療法士の吉田清香さん。


2度の育休を取得した白岩貴徳元施設長。初めての育休は子どもの発熱であたふたしたが、「子どもと触れ合う貴重な機会になりました」。女性職員から「白岩さんみたいな旦那さん、いいな」と声がかかり、思わずにっこり。


放射線科は入院患者の病状変化に備え、夜間も待機が必要。四海奈美さんの育休中は代替要員を入れた。「私の復帰後、その人が正規雇用されたので嬉しい」
連続休暇で
モチベーションアップ
「M字カーブの底」知らず
 この“芳野病院オリジナル”短時間勤務制度の導入によって、勤務形態は大きく変わった。先の小川さんによると、「全職員の勤務形態をパターン化したら57種類。これを手入力で管理していた総務は大変でした」。だが、それも計算ソフトを入れてからはぐっとスムーズに。
 さらに平成18年、芳野院長は「子どもの有無や理由を問わない1週間連続休暇」取得奨励制度をスタートさせた。勤続年数など条件はあるものの、旅行や結婚前準備、介護に利用できると好評で、今では対象者の約4割が毎年利用している。
 放射線技師で勤続15年の四海奈美さんも、毎年の家族旅行にこの制度を利用。人数が少ない職場で当直もあるが、職場のみんなでやりくりしながら活用、モチベーションアップになっている。
 女性の年齢階級別労働力率を表したグラフで「M字カーブの底」といえば、30~34歳の子育て世代の就業が最も少ない様相を指す。芳野病院の女性職員はこの層が最多で、育児休業からの復帰率は100%。人材確保が厳しいといわれる業界にあって、同院の取り組みを知って応募してくる職員は少なくないという。
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 芳野病院でワークライフバランス施策が進んだ背景には、トップである芳野院長が海外生活経験者で、早くから次代の波を肌で感じていたこと、従業員の声にスピーディーに応える風通しの良さ、決断力、行動力がある。特に後者は、大企業のように手続きが煩雑な組織機構を持たない、中小企業ならではの強みであろう。
 加えて「福岡県北九州市」という土地柄もあると思う。福岡県は平成15 年から「子育て応援宣言企業登録制度」を導入。平成24 年8月末の登録企業・事業所数は全国一の3908 社と、ワークライフバランス先進県だ。また、北九州市は平成17 年に「子育てしやすい環境づくりを進める企業・団体表彰」を立ち上げ、芳野病院は第1回市長賞を受賞している。
 同市は「北九州ダイバーシティネットワーク会議」ほか、ワークライフバランスのネットワークも構築しており、自治体主導で2つの民間交流事業を推進している例はほかにない。

「休みやすくて復帰しやすい職場づくりが大切」と語る看護婦長をつとめていた大坪文代さん(左)と、WLB・ダイバーシティ推進室の小川美里さん(右)。
制度利用者の多くが昇格
労働時間の長短は
評価の対象外
 育児休業取得者は女性に限らない。病院系列の住宅型有料老人ホーム「うみかぜ」の元施設長・白岩貴徳さんは、2年前の病棟看護師主任時代に2週間、1年前に6日間の育休を取得。最初の育休復帰後、施設長に昇格した。「もともと介護に興味があったので、話をいただいた時は喜んで引き受けました」。同院では制度利用者の多くが昇格しており、労働時間の長短と勤務評定は完全に一線を画している。
 芳野院長によると、今でも外部に「ワークライフバランスに取り組んでいる」と話すと、「従業員には長時間働いてもらわないと損だ」などの声が聞こえてくるそうだ。「経費はかけられない。それなら“働き続けたい”と思ってもらえる職場づくりを考えるまで」。中小規模の病院でありながらWLB・ダイバーシティ推進専任者を置き、職員の啓蒙、他企業との交流に努め、多様な働き方を画策する──。芳野病院のチャレンジは続く。
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 取材当時、アメリカのインターネット大手のヤフーが、妊娠中のグーグル女性幹部を最高経営責任者に抜擢したニュースが世間を賑わした。ヤフーの見解は「出産・育児に時間を奪われる経験は、彼女のマネジメント能力をアップさせるだろう」というようなものだった。休業や短時間労働をマイナス評価しない、この点でも芳野病院はやはり先進的だ。
 人材確保や欠員対策は、どの企業においても重要課題だ。24時間人員配置しなければならない業種でありながら、ES(従業員満足)を重視する芳野病院の取り組みは、必ずや医療サービスの質を向上させ、CS(顧客満足)につながるだろう。究極のリスク・マネジメントとして参考にしたい。

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構成・文/安里麻理子 写真/吉永考宏