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訪問レポート 健康経営 元気!つくってますVOL.2

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東京大学政策ビジョン研究センター
健康経営研究ユニット

東京大学政策ビジョン研究センター
健康経営研究ユニット特任教授
尾形裕也氏
最近、企業経営にかかわるさまざまな場面で、「健康経営」(*)ということばが使われるようになっています。従業員の健康を経営資源ととらえ、健康管理に積極的に取り組むことが、従業員がはたらきやすい職場をつくり、企業の生産性や業績の向上にもつながるという考え方です。
健康経営の調査研究の最前線である、東京大学政策ビジョン研究センターを訪ね、「健康経営」のそもそもの概念、日本の現状、今後の展望をお聞きしました。
――健康経営という考え方が生まれたきっかけは?
「従業員の健康問題が経営そのものに関わっていると気づいた、欧米の経営から始まりました」
 従業員の医療費や健康問題と経営との関連を示すひとつの象徴的な事例に、アメリカのジェネラルモーターズの経営破綻があります。さまざまな原因がいわれましたが、、医療費負担が重いということが大きな要因として取りざたされました。当時、トヨタが1台の車を作るのにかかる医療費の数倍が、GMの車にはかかっていると言われました。つまり、医療費負担が企業経営そのものに関わってくるということが示されたのです。
欧米諸国では、この企業経営と医療費の課題について、すでに20年以上前に、大きな考え方の転換があったといわれています。それは、医療や健康の問題を、病気になった人に対応して治療するためにかかるコストであるという考えから、組織に所属する人は企業にとっての資産であり、それに投資をするのだという考え方への転換でした。
これが健康経営の出発点となる考え方であり、それをふまえ、従業員の健康の維持や増進に積極的に取り組むことによって、企業経営も健全化していくというのが、健康経営の基本概念です。英語でいうとよりわかりやすく、「Health and Productivity Management」、従業員の健康と生産性を同時に管理していくという考え方です。つまり、医療費を減らしていくだけでは十分ではなく、従業員の健康と生産性の関係まで含めて考えていくことが、企業経営の重要な課題であるということです。

――医療費の適正化だけでは生産性の向上につながらないのはなぜ?
「直接的なコストで測れない、健康原因による従業員の生産性の低下が健康コストの6割以上を占めています」
 ここで、従業員の健康問題に関連するコストがどのぐらいかかっているかを集計して示したアメリカでの先行研究をひとつご紹介します。
図1は、アメリカのある金融関連企業のデータで、アメリカの商工会議所のパンフレットに紹介されたものです。これをみてわかるのは、医療費・薬剤費(Medical and Pharmacy)の割合は1/4程度でそれほど大きくありません。アメリカは世界で一番医療費が高い国なのですがこの程度です。医療費のほかに長期障害(Long-term Disability)や短期障害(Short-term Disability)、病気休暇(Absenteeism)も企業にとってはコストになるので健康関連のコストとして集計されていますが、全体に占める割合は3項目合わせて1/5程度です。
この図でもっとも大きな割合を占めるのが、プレゼンティーイズム(Presenteeism)と書かれた部分です。これは、日本語でピタリとはまる用語がないのですが、「出勤はしているものの、病気やけがによって生産性が落ちている状態」のことです。たとえば心身ともに健康であれば発揮できる能力を100として、それがなんらかの病気やけがによって8割しか発揮できないとしたら、2割生産性が落ちているわけです。それを一定の手法で測定して金銭換算したのが、このプレゼンティーイズムです。ここが従業員の健康関連コストの6割以上を占めるということが、この図のもっとも重要なところです。
つまり、企業として生産性を向上させ企業業績を伸ばすためには、直接的なコストだけでなく、全体の6割以上を占める従業員の生産性の低下の原因となっている要因を何とかしなければならないということがわかります。

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図1:生産性の低下によって生じる間接的な健康関連コストを含め、全体円を小さくしていくことが重要な経営課題となる。

 海外の研究では、そのほかにもいろいろなことがわかってきています。それをいくつか紹介します。
●医療費の大きい疾病と生産性低下によるコストの大きい疾病は順位が異なる
医療費がかかる疾病を順列していくと、1位「がん」、2位「肩こり・腰痛」、3位「冠動脈性心疾患」、4位「慢性疼痛」、5位「高コレステロール」と、生活習慣病関連の疾病が並びます。いっぽう、生産性(アブセンティーイズムとプレゼンティーイズムの合計)の低下によるコストの大きい疾病を順列していくと、1位「倦怠感」、2位「抑うつ」、3位「肩こり・腰痛」、4位「睡眠障害」、5位「慢性疼痛」と、メンタルに関連する疾病が上位にきます。これにより、医療費と生産性の両方を含めて考えるためには、生活習慣病対策だけでなく、メンタルヘルスの問題への対策が不可欠であることが明らかになりました。
●健康リスクが増えるほど労働生産性の損失は上昇する
健康リスク要因を、「栄養バランス」「やせ・肥満」「高コレステロール」「高血圧」「高ストレス」「喫煙」など11の項目として、リスクの高さと労働生産性の関連を調査したところ、リスク項目が増えるほど労働生産性の損失割合は上昇し、とくにプレゼンティーイズムについては顕著でした。これにより、企業の生産性の維持・向上のためには、従業員の健康リスクの構造を改善することが重要な課題であることが明らかになりました。

――健康経営への取り組みと企業業績との関連は明らかになっていますか?
「健康経営優良企業は長期的な業績が良好である――
という研究結果が示されています」
 健康経営を一生懸命やることによって、本当に企業業績はあがるのか……は、企業経営者にはもっとも関心のあるところだと思います。これについても2013年のアメリカの論文で、興味深い結果が示されています。(図2)
健康経営に熱心な企業への表彰を受けた優良企業と、S&P500というアメリカの一般企業の平均に対して、1999年に同時に1万ドルを投資した場合、13年後の2012年にどうなるかということを仮想計算したものです。
オレンジ色の線のほうが健康経営優良企業で、最終的には17000ドル以上になっています。それに対して青線の一般企業平均のほうは、9900ドルになってしまっています。明らかに健康経営優良企業のほうが長期的な業績がよいということを表しています。
これに関しては、実は日本でも先駆的な取り組みが始まっています。日本政策投資銀行(DBJ)では、健康経営への取り組みについてABC3段階の評価をし、ABの企業には特別金利を適用しています。2015年5月現在で、すでに30社以上が適用を受けており、なかには中小企業や病院の事例もあります。

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図2:健康経営に熱心な企業は長期的な業績も良好。健康経営の重要性を裏付けるデータである。

――海外ではスタンダードになっている健康経営。日本での動きは?
「“データヘルス計画”のなかに“健康経営”が明示されるところまできました」
 近年、日本でもようやく企業が従業員の健康問題に真剣に取り組む必要があるという認識が広まってきました。その背景としては、レセプトデータが電子化され、健診データとあわせて分析することで、個人及び組織の健康状態やリスク構造などさまざまなことがわかるようになったことがあります。
厚生労働省は昨年から「データヘルス計画」をすすめていますが、そのなかで言われているのが「コラボ・ヘルス」、企業と健康保険組合等の保険者が連携して従業員の健康を効率的に向上させていくという考え方です。
いっぽう、アベノミクスの3本の矢の1本である「日本再興戦略」の一環としても、「データヘルス計画」は位置づけられています。昨年改訂された文章のなかでは、「健康経営」ということばも明示され、「健康経営を普及させるため、健康増進に係る取組が企業間で比較できるよう評価指標を構築するとともに、評価指標が今後、保険者が策定・実施するデータヘルス計画の取組に活用されるよう、具体策を検討」することなどが盛り込まれました。
これに基づき、東京証券取引所での健康経営銘柄の指定や、企業の従業員の健康増進に向けた優良取組事例の選定といった取り組みがすでに始まっています。
ただし、こうした取り組みも、医療費だけを対象にしているだけでは、「コラボ・ヘルス」は進まないと思います。医療費の適正化だけであれば、企業や組織にとっては、それは健康保険組合等の保険者が取り組む問題だという意識はなかなか変えられないからです。よって、日本でも図1で示したような健康コストの全体像や、図3で示したような健康リスク評価による高リスク中リスク低リスクの人の割合などを示していかないと、コラボ・ヘルスは現実化していかないのではないかと思います。
残念ながら、日本では、ご紹介したような海外での研究に相当するようなものがまだありません。そうした調査研究を進めていこうというのが、私たちの研究センターです。

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図3:健康リスクの該当項目数によって低・中・高リスクに区分して従業員のリスク割合をしめす手法。組織の健康問題が明確になる。

――今後の調査で明らかにしていきたいことは?
「企業から非営利組織や自営業まで。被保険者本人から被扶養者まで。日本の健康関連コストやリスクの構造を網羅していきます」
 2014年度に、まず4つのフィールドを設定し、健康関連コストの構造と健康リスクについて測定しました。現在2か所の結論は出ており、結論だけ申しあげると、健康関連コストの構造は、非常に海外と似た結果が出ました。また、健康リスク評価では、アメリカに比べ日本の従業員の健康状態は非常によく、構造自体は悪くありませんでした。
まだ実験的な先行調査なので、今後は個別の健康保険組合をもっているような大企業だけでなく、中小企業や病院、学校のような非営利組織、個人経営者など国民健康保険の加入者にもフィールドを広げ、それぞれの特徴があれば、それらも明らかにしていきたいと思います。
さらに今後重要になると考えられるのは、従業員本人だけでなく、被扶養者の健康状態についてです。たとえば子どもが病気やけがをしたことで、欠勤しなければならない(アブセンティーイズム)こともあるでしょう。病気の子どものことが心配で、出勤していても仕事が手に付かない(プレゼンティーイズム)ということもあると思います。さらにこれからは、介護が大きな問題になることはまちがいありません。親の介護で欠勤や生産性の低下、さらには介護離職を余儀なくされるような事態も、もうすでに出てきています。
こうした、被扶養者や家族の問題は、海外でもまだ例のない研究になります。というのは、海外にはそれを可能にするデータベースがないからです。日本はどんな保険に加入していても、すべてが一本化されているのでデータ比較が可能です。健康保険組合では被保険者だけでなく被扶養者についても把握できています。また、介護保険制度があるため、介護と健康コストについても調査が可能になるかもしれないと思っています。

――日本で健康経営が確立していくための課題は?
「健康状態の構造や取り組みの過程だけでなく、
健康改善や企業業績などの成果も分析し、示されることが重要になります」
 超少子・高齢社会に突入した日本の経済社会にとって、「人」は貴重な資産であり、人に投資し、優秀な人材を失わないようにするのは、企業や組織にとって喫緊の課題になりつつあります。そのために重要になる、健康経営の課題について、最後にいくつかあげさせていただきたいと思います。
ひとつは、何度も申し上げてきたように、健康課題を医療費の面から考えるだけでなく、生産性の問題としてとらえ、図1の全体像の円=コスト全体のパイを小さくしていくことを目標にしなければいけないということです。
それは、図3で示した健康リスク評価のピラミッドにおいて、従来のようにハイリスクの人たちに個別に介入してリスクを下げていくという視点だけでなく、低リスクの人たちが中リスクや高リスクにならないような対応をしていくということでもあります。こういう対応は個別というよりも、運動や食生活などの生活習慣、ストレス度チェックなどのメンタルヘルスを含めた、予防意識をもった全社的な取り組みが必要になります。
もうひとつは、こうした取り組みに対する成果を明確に示していくということです。「データヘルス計画」はまだ始まったばかりなので、現在は「健康経営銘柄」や「健康増進に向けた優良な取り組みの表彰」といった、取り組みへの評価が中心ですが、今後は、こうした取り組みによって、従業員の健康状態がどのように改善されたか、企業業績はどのように向上したかという「成果」の部分を測定していく必要があると思います。
かんたんな話ではありませんが、PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルを回していくためには、「健康経営評価機構」のようなものを設立し、継続的な評価をするしくみを作っていくことも必要ではないかと思っています。
*「健康経営」は「特定非営利活動法人・健康経営研究会」の登録商標。同研究会によれば、「健康経営」とは、「経営者が従業員とコミュニケーションを密にはかり、従業員の健康に配慮した企業を戦略的に創造することによって、組織の健康と健全な経営を維持していくこと」と定義されている。
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